要約すると
ユルゲン・クリンスマン前サッカー韓国代表監督が韓国に常駐しなかった理由は、北朝鮮との国境近くにある坡州国家代表トレーニングセンター(NFC)への恐れだった。クリンスマン氏は約束どおり韓国に滞在することを拒んでおり、在宅勤務を続けていた。韓国サッカー協会は彼を更迭し、監督選任の過程も論議を呼んだ。
北朝鮮に恐れているにゃ
クリンスマンが監督退任望んだことにして違約金踏み倒す気かよ
F1日本海GPドライバー<だろ?
ドイツは闇の帝国ロシアからガスを買ってたから
そうなんか
それを知ってか知らずかロクに対策もせず契約したんだろか
チョンよのうw
トルシエはもう韓国の本質知ってるだろ
戦争終わってないしな
日ごろから韓国を軽視するような言動があって
それにカチンときてたってことかw
韓国の米軍基地って、もう直ぐ無くなるんだろ。
アメリカも予算が減って、世界の警察から降りたいと思い始めた。
アメリカは韓国を、もう守るつもりは無く見捨てるんじゃないか!!
アメリカにとって、韓国との安全保障条約での国益って、東西冷戦も無くなり今は何も見つける事が出来無なっている。
日本国の場合は、沖縄や本土に、今でも米軍基地が大部分残っている。
アメリカ自国の軍隊が日本に居る以上、当然にアメリカは日本を守らざるを得ないだろ。
思いやり予算と言う多額の金まで、米軍は貰っているからアメリカの国益にもかなっているし。
韓国が中国の一部になっても、アメリカに直接の安全保障上の脅威には成り難いが、もし日本が中国に取り込まれると、太平洋を挟んで隣が直ぐ中国と言う脅威に成る事で、米国がゆるさない。
中国領朝鮮自治区誕生です
朝鮮戦争で韓国は“主要参戦国”では在りません。
戦争初期段階で韓国大統領自身が統帥権を放棄し
(大統領がソウルから逃げ出す時に側に居た米軍連絡将校に
軍の指揮をどうするか問われ、
「お前がやれ!」と無責任に外国軍の一少尉に委譲したそうです。)、
それ以降韓国政府は国連軍の作戦行動に対して何等干渉する事が出来ませんでした。
休戦に対しても断固反対でしたが、
国連軍を構成する各国政府に聞き入れられず、
焦った韓国大統領が数万人を動員して在韓米軍基地前で
「休戦反対!さっさと戦え!!」と叫ばせ大規模なデモを張りましたが全くの無駄でした。
韓国人デモ隊に対して国連軍将官のこんな言葉が残ってます。
曰わく「そんなに戦争がしたいなら、
朝鮮人だけで勝手にやってろ!(怒)」
もう直ぐ、半島から米軍が撤退します
今後は、人民解放軍に守って貰って下さい
日本の米軍基地は無関係です
韓国と米国の関係は「同盟国」×
韓国と米国の関係は駐留「国連軍」◎ 関係です。
韓国と米国の軍事協定も台湾と同じ内容で物資の軍事協定程度で、2〜3歩引いた協定です。
同盟国関係では無いです。米国は同盟国になる気も無い。
韓国政府樹立後の1949年に米軍は完全に追い出されました。
一切韓国に駐留しない同盟もしない条約も結んでいます。
現在駐留しているのは「国連軍」としてです。
中国が大好きのオバマが、駐留「国連軍」を中国に引き継ぐ密約をしています。
2015年に米軍の撤退で、オバマは選挙公約と議会で約束もしました。
「国連軍・北・中国・ロシア」は停戦協定しています。
韓国とは停戦協定を結んでないので攻撃してもかまいません。
韓国は現在も北・中国・ロシアと戦闘状態です。
日本政府に求める韓国への対応
まず始めに天皇陛下を侮辱したことを日本国民にあやまることから始めてください。
日本側から韓国と付き合うメリットは皆無です。
つぎに竹島から即時退去。
つぎに反日教育の即時停止。
つぎに在日半島人の即時日本退去及び再入国の禁止。
つぎに不法就労者および売春婦の国外退去。
つぎに先日の対馬で盗難にあった仏像の返還。
つぎに大々的に従軍慰安婦はただの売春婦でしかなかった事実を大々的に韓国が世界に宣言しまた宣伝をする。
つぎに日韓基本条約の世界的な告知。韓国側からこれにおいて日本統治時代の遺恨はすべて清算されていると宣伝する。
そして有償貸しした元本含めた利子の返済。
また2002年のワールドカップの謝罪と施設建設に当てた日本からの有利子負債の返済。
今後二度とたかられない様に早期の国交断絶をすべきです。
韓国の李承晩が、日本へ侵攻するために全韓国軍を韓国南部に移動させた。
その空きを突いて北朝鮮が南進したのが朝鮮戦争の始まり
1945年10月:南朝鮮に大韓民国臨時政府、臨時大統領に李承晩が就任。
1946年9月:李承晩による反米運動が全土で盛んになる。進駐米軍は早く出て行けと撤退を要求。
1948年8月:大韓民国の建国。李承晩大統領は米国から1949年6月までに米軍完全撤退を勝ち取る。
1948年8月:李承晩大統領、「対馬島返還を日本に要求」 軍事武力行使を示し日本に叩き付ける。
1948年9月:反米運動の中で追い出されるように米軍撤退作業開始〜10ヶ月間で完全撤収。
1949年1月:李承晩は政府樹立直後の新年記者会見で日本に対馬島返還を要求。軍事侵攻をも表明。
1949年2月:韓国軍は一斉に対馬から40kmの釜山港に集結開始(南部へ韓国軍大移動)
1949年3月:韓国軍は釜山で揚陸訓練開始。韓国にいたアメリカ陸軍第24軍が対馬上陸の訓練で、
日本侵攻の演習と知り、釜山の軍事演習にマッカーサーとトルーマン大統領が激怒。
1949年4月:上記理由で、激怒した米英が国連安保理で韓国の国連加盟容認から一転して、韓国加盟を否決。
1949年5月:上記理由で、マッカーサーが韓国李政権への軍事物資援助を全て停止。
1949年6月:アメリカ第24軍本体が本国に撤退 韓国には国連監視団500名のみ残し引き上げ。
韓国は防衛上の後ろ盾を失う。
1950年1月:米国務長官が“アチソンライン”を示し米軍は韓国に関与しない、韓国を切り捨てると宣言。
1950年1月:名ばかりの米韓軍事援助相互協定を調印。韓国側は軍事支援強化を求めるが米国は拒否。
理由は韓国の北進を防ぎ、韓国の日本への侵攻防止、ソ連との約束で韓国に兵器を拒否した。
1950年6月:再び、李承晩が”対馬島と北九州”への軍事侵攻に韓国全軍を南部へ移動指示、釜山港に集結開始。
1950年6月10日:北朝鮮大機動演習を開始。全師団が南国境地帯で演習移動しているが、米国は韓国に知らせず。
1950年6月17日:韓国軍が釜山にぞくぞく集結。全軍が釜山港に集結。対馬と北九州侵攻準備で北国境はスカスカ。
1950年6月:スターリンが米国に何度も問い合わせ。米軍はソ連と交戦はしない。朝鮮半島は米国の守備範囲でない。
米軍は存在しない。アチソン国務長官が正式外交ルートで「朝鮮半島は米国の守備範囲でない」と声明を出す。
1950年6月22日:国境がスカスカとなり北朝鮮軍最高司令官金日成が全面的南進作戦命令を発する。
おしめいよ
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